在宅に求められる「覚悟」“ありのまま”を受け入れるために・・・


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ナースコールの無い状況に耐えられるか・・・

末期の子宮頸がんの母を在宅で看取ったのは今から18年前のこと。がんが見つかった時にはすでに手遅れで、残念ながらもう手術をすることは出来ませんでした。

実は母はがんになる10年ほど前に、40歳という若さでくも膜下出血と脳梗塞を併発し、右半身麻痺と言語障害という重い後遺症を背負っていました。長く車椅子の生活をしていた母が唯一自由に過ごせた我が家で最期を迎えさせたいと私は強く願いました。

※最初で最後になった母娘2人一泊旅行(箱根)(この時すでに母は末期がんを患っていました)

しかし、治療法がなければホスピスへという時代。家族の想いだけで在宅を実現することは不可能と言ってもいい状況の中で、私達の想いを支えてくれたのは地元埼玉の病院に試験的に立ち上がっていた“緩和治療科”の存在でした。

 

今では、がんのチーム医療や緩和ケアという言葉は当たり前のように使われていますが、1990年代には緩和という概念さえまだ普及していませんでした。この緩和治療科では外科医、内科医、精神科医、そして訪問看護師がチームを組み、がん患者1人1人の希望に合わせて緩和ケアから抗がん剤投与などの積極的な治療まで様々な選択肢を支えてくれていたのです。

 

「死」を具体的にイメージできていないのは私達家族も同じでした。実際に在宅を選択して分かったことは、最期まで自宅で過ごすということは“延命治療をしない”ということであり、当然のことですが“ナースコールがない”ということでした。

容体が急変しても病院のように、看護師も医師もすぐに駆けつけてくれるわけではありません。苦しむ家族の姿を見て最後の最後に救急車を呼んでしまったら本末転倒な状態になってしまいます。在宅を担う医療や介護スタッフの人材育成や訪問看護ステーションの充実など体制の整備は急いで進めなければなりませんが、まず在宅を選択する前に家族みんなで考えて欲しいのは「ナースコールがない状況に耐えられるか?」ということです。

 

病院死から在宅に方針転換するということは、家族が死と正面から向き合うということであり、一番重要となるのは家族の「覚悟」と「決断」なのです。

 

「やっぱり我が家が良い」と本音が言える環境を・・・

在宅を難しくしている要因は医療や介護体制だけにあるのではありません。

「家族に迷惑や負担をかけたくない」という想いを本人が抱えていることも要因の一つです。

 

在宅は病院と違い医療スタッフが24時間そばにいてくれるわけではありません。我が家に戻ってきた母の点滴、オムツ、人工肛門などの交換をするのは家族の役目に。自宅に戻る前にナースステーションや病室で事前に看護師さんから家族全員でレクチャーを受けていましたが、在宅初日、極度の緊張状態にあった父は点滴の接続部のアルコール消毒を何度やってもうまく出来ませんでした。また、がんによる悪液質で食欲が低下していましたし、40代だった母にとって点滴は命の綱です。「違う、違う」と自分の目の前で覚束ない手つきで点滴を交換する父に、母は拙い言葉で必死に訴えました。

 

そのほかにも身体を拭いたり食事を用意したり、また尿や便の調子など細かい体調の変化を観察しなければなりません。母の場合は言語障害を抱えていたので“心の襞(ひだ)”を表すような細かい意思表示が難しく、末期のがんと分かった時から「もし母だったら」と想像力を働かせ、治療法の選択など私が代わりに決断していくことになりました。

 

母のような脳卒中の後遺症を抱えている場合や認知症の場合も本人の意思をどうやって確認し尊重するかは大きな問題です。やはり元気なうちに家族で最期までどう生きたいかを話し合っておく必要があると思います。

※月に一度は車椅子を押して外出することを目標に・・・(まだ母が元気な頃、埼玉にある大崎公園にて)

もし母に障害が無かったとしても「申し訳ない」と言わせない自信はありましたが、在宅を最前線で担う家族の負担は物理的にも精神的にも大きく、介護する人が少ない場合はなおさらで、どうしても本人は「家族に迷惑をかけたくない」と思ってしまいます。「やっぱり我が家が良い」と本人が本音を言える環境を、医療や介護スタッフも協力して作ることが在宅を実現するための第一歩なのです。

 

「何かあったらどうするのか?」家族が抱える大きな不安

私達も在宅をすぐに決断できたわけではなく、主治医の先生と何度もそして何時間も話し合いました。何故なら家族みんなが同じ考えとは限らないからです。「何かあったらどうするのか」と大きな不安を抱えていた父は、母を家に連れて帰ることを最後までためらっていました。

※家族で行った群馬県万場の(今は神流町)鯉のぼり祭り

後で知ったことですが、母の主治医は全ての家族に在宅を勧めていたわけではなく、本人や家族と対話を重ねる中で、在宅は難しいと判断する場合もあったそうです。

在宅を選択した家族が父のように不安を抱えるのは当然のこと。ですが病院にいても残念ながら“何か”は起きるし“その時”は必ず来るのです。

 

家族の「死」を目の当たりにするのは私も初めてで、泣き出しそうなくらいの不安や恐怖はもちろんありましたが、大きな支えになったのは(先生には申し訳ないですが)訪問看護師さんの存在でした。「調子は良い時も悪い時もあり波を繰り返しますが、どちらも本当のお母さんの姿なので見守ってあげてください」日々の訪問看護の中で、現在の母の状況から推測できる少し先に起こるであろう病状の変化を、看護師さんが一つ一つ丁寧に説明してくれたことで、不安や恐怖が少しずつ和らいでいきました。

 

良いことも悪い情報も全てのやりとりが母の“命”に関わることになる。訪問看護師さんと密度の濃いコミュニケーションを積み重ねることで私達の覚悟は徐々に固まっていったのでした。

 

在宅に求められるのは「高度なケア」

いま住み馴れた地域で最期まで過ごすための「地域包括ケア」が盛んに叫ばれていますが、現場で働く医療や介護者に話を聞くと在宅に携わる職種が多くなった分、本人に関する“情報”の共有をどうするのかが大きな課題になっています。

※母が淋しくないように常に病室には家族が・・・(弟の誕生日をお祝いしました)

病院から在宅へ、そして医療から介護へ。

情報は命に直結する場合があります。違う職種に意見を言うことが躊躇われると多くの人が口にしますが、今一度誰のための在宅なのかを考えて欲しいと思います。

 

その意味で在宅に必要なのは“高度医療”ではなく“高度なケア”だと私は考えています。10人いれば病状や家族構成、そして考え方も違い、マニュアル通りではない柔軟なケアや対応が在宅には求められます。家族の心の在り方は、本人の療養環境に大きく影響します。

 

点滴に戸惑っていた父も、数日すると手付きもスムーズになり、訪問看護師さんにも褒められ、母も安心して任せることが出来るようになっていきました。「家に帰って来て良かった?」と聞いたところ、母の返事は「スースースー」でした。よく眠れたことを母なりの言葉で私に伝えてくれました。

※住み慣れた我が家で過ごした一か月半

どれだけ覚悟を決めても、最後までどうしても不安は付き纏うものです。だからこそ、まだ起きていない「何か」に家族がいたずらに怯えなくていいように、そして「ありのまま」を受け入れられるように医療や介護スタッフの皆さんには本人だけでなく家族にも寄り添う介護やケアをして欲しいと思います。

 

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